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劇場版 PSYCHO-PASS

う゛ー、ちょっと仕事が忙しくてまたしても blog 放置状態;。ネタが溜まりすぎてどーするよ?; な感じですが、ぼちぼち書いていこうと思います^^。まずはこちらから。

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少し前から劇場公開されている、劇場版 PSYCHO-PASS。ちょうど前クールの PSYCHO-PASS 2 を全話見てから鑑賞しに行ったのですが、TV 版本編とは完全に独立したストーリーになっていました。……といっても、TV アニメの方を見てないとまるでなんの話なのかさっぱりわからないとは思いますが;;。以下、ネタバレあるので反転にて。

シビュラシステムの輸出、そして狡噛を軸に海外を舞台にして展開されるストーリーはなかなかに見応えがあり、特にシビュラシステムを用いていない周辺国がとてつもなく荒廃しているという舞台設定には、いい意味で驚かされました。確かにそういう世界設定でなければシビュラシステムというものが受け入れられるはずもないのですが、逆にその世界設定を明らかにしたことで、PSYCHO-PASS という作品が投げかけているテーマが如実に明確になっていましたね。すなわち、順法精神とは何か、と。

「歴史には敬意を払いなさい、シビュラシステム。」

この宮守朱のセリフこそがこの作品の真骨頂。宮守朱は順法精神の塊のような存在なのですが、そもそも法とは皆が幸せになるために皆が定めたルール。法の裏付けは民意による合意や同意であり、そうでなければそれは為政者やシステムによるルールの押しつけになってしまう。だからこそ、法を法たらしめるために人は多大な努力を払っている。まわりくどい合意形成プロセスを踏んで法を作り、そのルールの下で悪しき人を裁き、時としてルールを見直してよりよいものに変えていく。人によるそうした試行錯誤の積み重ねの歴史によって、法はより優れたものになっていき、人々の暮らしもより幸せなものへとなっていく。

宮守朱というキャラの面白いところは、そうした順法精神の持ち主でありながらも、シビュラシステムの功績を認めているというところ。法が法たりうるのが人の合意だというのなら、シビュラシステムは確かにその縮図とも言える。けれども、もしシビュラシステムが自らの判断で幸せというものを定義し、その結果としての幸せを速やかに得るために、途中の過程でルール破りや誤魔化しをしたらどうなるのか? シビュラシステムは、詭弁のような論を展開し、自らの手を汚さず第三者をうまく使うことで、結果としての平和を速やかにもたらそうとする。けれどもそれは、言ってみれば法と秩序を守るシステムであるはずのシビュラがルール破りをしているようなもので、そこを朱は断罪するのですよね。人間が法を守るためにどれだけの苦労をしてきていると思っているんだ、と。

人は幸せになるための法というルールを作るけれども、幸せを目指す上ではそのルールが枷になることもある。遠回りなアプローチであってもその積み重ねが歴史そのものなわけで、正しい段取りを踏めという朱のシビュラに対する主張は、こういう観点から一貫していてシビれるセリフでした。

それにしても今回ちょっと驚いたのは、割と女性客が多かったこと。女性二人組で見に来ているグループも多くて、さすが幅広い層から人気があるなぁと感心したのですが、右も左もどの女性客もやたらと話題が濃すぎるのには思わず苦笑いでした^^。ライトなファン層にウケているというわけではないんですね、多分^^。


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