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俺の妹がこんなに可愛いわけがない

えーと、今日の話題は昨日おすすめされた例の問題作、ということで;。

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先日の本郷氏の結婚式の一次会で隣の席になったヲタさんから紹介されたお勧め作だったのですが、タイトルにウケたらそれで終わりの一発ネタ作品。かと思ったら……。

これがとんでもない快作。
おいおいこれはとんでもない見事な一作じゃないですか、とめちゃめちゃびっくり。 いやすごすぎる;;。

そもそもどんなお話かとゆーと、妹の桐乃は茶髪にピアスのイマドキ女子中学生。中2でありながらティーン誌のモデルをこなし、それでいながら学力優秀、品行方正、さらにはスポーツ万能と、まさに絵に描いたようなカリスマ的存在。植物のような平穏な人生を送りたいと切望している脱力系な主人公 京介と、それを全力で見下す超勝ち組の妹という、もはや階級の差といっていいほどに断絶した兄と妹。

がしかし、そんな妹の秘かな趣味はアニメやギャルゲの重度のオタク。しかもそれが妹ゲーと来たからとんでもない;。モデルのバイトのお金で買い集めた妹ゲーはレアもの含めて数十本。けれどもそんなオタク趣味が周囲にバレたら世間的な抹殺は免れず。この趣味さえやめられればすべてがうまくいく社会的超勝ち組であるにもかかわらず、極度の妹好きという性癖を持つ妹は趣味を捨てることもできず、一人で思い悩むことに。ふとしたきっかけから妹の趣味のことを知ってしまった兄(非オタ)は、妹からの人生相談を受けることになるわけですが、その先に待っていたのは、社会的勝ち組の可愛い妹から、罵倒されつつ妹ゲーの洗礼を受けるという地獄絵図。そんな二人の先行きは……というストーリーライン。

以下、ストーリーについてのネタバレが入るのですが、めんどいのでそのままで。

キャラクター造形的には典型的なツンデレキャラ(ただし 99% 以上がツン)で、一見するとよくあるキャラものか、と思わせぶりなのですが、読んでみるとこれがとんでもなく見事。これは要するに何かというと、(偏見と軽蔑の眼差しを受ける非モテ系人種の代表である)オタクによる、世間から抑圧された自我の解放の物語、なんですよ。

この物語のヒロインである桐乃がやってることは、どう見ても我々のような重度のオタクそのもの。自分たちの好きな作品やジャンルに対する熱い思いを語りまくり、好きなキャラやシナリオをけなされようものなら一歩も引かず主張も譲らず(笑)。周囲に布教活動しようものなら相手のことおかまいなしで自分の好きなものを押しつけまくり、理解を得られなければ軽蔑の眼差しで一瞥。そこそこ年季の入ったオタクであれば、自分たちの若かりし頃の姿に重なること間違いなしで、思わず笑ってしまうこと請け合い。

けれどもその一方で、多くのオタク(偏見を持たれる趣味の持ち主)は自分たちが社会から隔絶された負け組(=非モテ)であることを肌感覚で認知しているが故に、負け犬根性が染みついている。京介が妹に対して感じている劣等感はまさにこれで、幼馴染の世話焼きメガネっ娘麻奈美は、その劣等感を忘れさせてくれる居心地のよいオアシス。けれども負け犬であることを完全に受け入れられているわけでもなく、受け入れているようなそぶりをしながらも、勝ち組である妹の住むモテ世界も気になって仕方がない。(この辺の微妙な卑屈さの表現も見事。)

この作品のキャラクター設定のうまいところは二つ。

  • 桐乃という妹の「ツン」側面に、オタク(非モテ)がうらやむ社会的勝ち組(モテ)という役割を持たせた、という点。
  • 我々オタクの「行動」と「内面」を切り離して、桐乃と京介という二人のキャラに分散して配置させた、という点。

そしてこの二つのポイントが、ストーリー上のカタルシスを生む原動力になってるんですよ。

まず、一点目について。桐乃は何もしなくても周りから男女問わず近寄ってくるような勝ち組だったはずなのに、オタクなコミュニティのオフ会に参加してみれば、むしろそこでは負け組に大転落。いつもならオタクが一般の合コンに参加して負け組になるところですが、そのという構図を逆転させることで、まさに文字通り勝気なモテ組美少女の鼻っ柱を折るという展開。……なのですが、見事なのはそれが単に勝ち負けの構図になるのではなく、むしろ妹キャラとしての可愛さに繋がるという点。負けるのがお隣さんの勝ち組美少女ではなく妹であることで、社会的勝ち組の敗北が、結果的に妹萌えに繋がるという構図を見事に作り上げている。

そして二点目のうまいところは、本来であれば一人のキャラクタが担うべき「行動」と「内面」を二人のキャラに分散させることで、主人公に「非モテだけどもオタクではない」というポジションを確保させている、という点。こうすることで、主人公がオタクにとっての(身勝手な)正論を一般人からぶつけられるんですよ。どういうことかというと、オタクは内面に自分を肯定する論理を持っていることが多いものですが、その自己肯定論理を、あたかも第三者の一般人からぶつけているような構図にすることができるんですよ。

「俺は、この目であいつの『大切なもの』を見てきた。同じもんを大切にしている奴らに、会ってきた。ああ、確かに偏見を持たれたってしょうがねえ、妙ちきりんなやつらだったさ。言動も格好もとにかく変テコでよ――正直、俺にゃあ理解できねーと思ったわ。でもさあ!」
俺は思い出す。あのときの光景を、それを見た、自分の想いを。
「悪くねぇって、思った。だってあいつら、アホみてーに楽しそうなんだもんよ。初めて会ったのに、いきなりバカデケー声で口論始めて、大騒ぎしてさあ。どんだけ大好きなんだっつーのな! 桐乃も、そいつらも、あんなに真剣に怒れるなんて、ただごとじゃねぇよ! 桐乃も、そいつらも、そんくらい自分の好きなもんに夢中だった! 見てるこっちが恥ずかしくなってくるくらいにな! でも、もうそんときにゃあ、あいつらは仲間だった! ハラ割って話せる友達だった!」

偏見モード全開で正論をぶつけてくる親父に対抗する一連のセリフは、京介という狂言回しを通した、オタクの心からの叫びそのもの。ところがそれを非オタである京介から(=第三者的な一般人としての意見として)言わせることで、うまく普遍性を持たせている。いやちょっとマテ、その叫びはぶっちゃけ我々オタクの心の叫びそのものだろう、と思わず苦笑しちゃったのですが、こういう配置でこのセリフを叫ばせることで、オタクという存在(桐乃=京介=読み手)にレゾンデートルを与え、読み手にカタルシスを味あわせることに成功してると思うんですよ。

Web 上のいくつかの書評を読んで回りましたが、この作品では妹がオタクであることには実はあまり重要性がない、と言っている blog がいくつかありましたが、それは 120% 違う。この作品は妹がオタクでなければ成立しない。オタクな妹を偏見に満ちた頑固な父親から守った兄貴のちょっといい話などでは断じてなく(笑)、オタク(=偏見を持たれる趣味の持ち主)である読み手の自己肯定理論やレゾンデートルを強烈に強化するように組み上げられた物語。そしてそれを、ものすごく読みやすく、そして面白おかしく描ききったのが本作、だと思うんですよ。いやはや実に見事としか言いようが。

……とまあ、さんざん書いてきたわけなんですけどね。

あれこれ書かなくても普通に面白い。

のがこの作品の凄いところ。コミカルな展開、オタクによくある衝動的なおかしな言動(笑)、無駄にアツいトーク、オタなら誰しもが思ってやまないツッコミどころへのツッコミなどなど、ひとつひとつのパーツには目新しさはないのにテンポの良さと組み合わせの妙で、一気に作品に引きずり込まれる。一度読み始めたら寝食忘れて一気読みしてしまった、というのが自分でもびっくりで、いやこれ正直そんな名作じゃないだろ(笑)、と思いつつも、げらげらと笑いながら読みきっちゃったんですよね。

そしてなにより、そうした面白さもさることながら、作品の設定と構造がとんでもなくうまい。ある意味、今の時代のオタクにまとわりつく「負け犬な空気」を見事に捉え、それをこんな萌え系作品に仕立て上げるという手腕がホントにとんでもないとしか言いようがなくて、途中からは作品の面白さよりも前に驚嘆してしまった、というのが正直な感想。

一気読みした挙句に一気にこんなインプレを書いてしまったわけですが、いやはやホントに見事な一作でした。正直、続編が作れる作品構造でもないような気がするのですが(非常にまとまっているので)、久しぶりに凄いメタもの作品を読んだ気がします。や、すごい作品を紹介してもらってありがとでしたよ~^^。

ちなみにこの作品のタイトルはものすごく見事。いや~、すいません、参りました;;;。


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