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書評:人は死ぬから生きられる-脳科学者と禅僧の問答

というわけで今日はこちらの話題を一つ。

20091114h

えーと、脳科学者の茂木健一郎さんと、禅僧の南 直哉さんの対談形式本。脳科学者と禅僧という全く相反する二人の対談で、自我意識などの問題を中心として、ウィットに富む対話を繰り広げている一冊。お薦めされたので読んでみたのですが……うーん、予備知識不足かも;、という印象。

もともとお二人は脳科学と仏教の最先端(?)を走っているわけで、両方にそれなりに造詣がないと、話についていけないところがある。もっとも中核で話題にしているのは、実は脳科学の話でも仏教の話でもなくて、最終的には自我問題で、それがタイトルにある「人は死ぬから生きられる」という話。断片的に、心に刺さるリアルな話が出てくるのはやはりさすがという印象。

そもそも「生きる」ということや「存在」あるいは「意識」といった問題は結論が出る問題ではなくて、古今東西、悩み続けられている難題。生きることに「リアリティ」を求めようとすれば、そこには苦悩が待っている。それは喉の渇きを癒そうとして、海水を飲み続けるようなものだと思うのですが、面白いのは、二人とも「それに答えはない」という前提条件に立って対談を進めている、という点。

私は人からよく自信満々に見えるといわれる。なぜそうなのかというと、破綻していも何とか生きられるようにするしかないと思っているからでしょう。「破綻しないでいたい」とか「安心できる居場所がほしい」ということを、自分で断念することから始めるしかないわけです。
つまりはそれが生を、世界を引き受けることだと私は思うわけです。先ほどから私が、生きることよりも、生きることを引き受けることが決定的に大事だと言っているのは、生が破綻していても構わないと覚悟を決めちゃうことなんですよ。それがいいかどうかはわかりません。ただ、僕はそういう人に激しく共感するし、その決断を尊いと思う。このニュアンスがわかる人には一発でわかる。大抵病んだ人ですけどね。

脳科学も仏教も、おそらくはあらゆる思想も科学も、この問題に対する「答え」を持ち得ないのだと思うのですが、それでもその答えを求め続けて果てなき問答を繰り返すのが人の業。自己をどのように規定するか、そして規定しても揺らぐ自己や自我意識をどう考えて、次の一歩を踏み出すのか。究極的には「答えもゴールもない」ものだと思うのですが、それでもなお歩み続ける人間こそが「強い人間」と評される、のでしょうね。や、細かいところはわからないところも多かったですが、なかなか面白い一冊でした^^。


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