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鋼の錬金術師 #63 扉の向こう側

ふう~、というわけでついに鋼の錬金術師も #63。#64 はおそらくおまけエピソードでしょうから、事実上の最終話が #63、といったところでしょうか。いやはや、見どころ満載な作品でした。軽くネタバレなので文字反転にて。

この作品、テーマはストレートに「生きること」でしたが、そこに作者ならではの哲学がしっかり根付いていたのが非常に素晴らしい作品でした。その哲学とは、簡単に言えば「自助努力」。要するに、自分で考え、自分の足で立ち、自分で努力し、自分で願いや望みを叶えること

「お前が己を信じないからだ。
他人の力を盗み、人から生まれたもののくせに、神とやらにしがみついていただけだ。
お前自身が成長しておらん。七つの欲を切り離せば、人を越えられるとでも思ったか?
笑わせるな!」

嘘をつかないことを信条としていたグリード(強欲)は、最後に一つだけ嘘をつき、仲間のために自らを捨てる。自らを中心に考える「強欲」において、自己犠牲は相容れないものなのに、最後に自らを「捨てる」ことで、逆に彼が一番ほしかったものを「手に入れる」。

一方、ホムンクルス(フラスコの中の小人)は、自らの願いを神に託し、他人の力(賢者の石)を使って自らの望みを叶えようとする。この世のすべてを知りたかった、と語るにもかかわらず、自分が切り離した 7 つの欲を手足のように使い、自らは最後まで動かなかった、というのも象徴的。だからこそ、最後には再び「閉じた扉の向こう」に永遠に囚われ続けるのでしょう。

そして最後に、自分の真理の扉=自らに与えられた「神の力を使う能力」を捨て、自らの足で歩き出すことを誓うことで、対価としてアルの身体を救う。結局、彼は誰も殺さず、誰も犠牲にしないでアルを救ったわけですが、それは、作品のテーマである「自助努力」とも綺麗に沿った流れなわけで、いやはや、実に見事な大団円でした。

それと、明確な答えが出ているわけではないのですが、この作品に出てくる『真理』という存在、たぶん自分自身の「心」そのものなんじゃないかな? と。アニメ版では、おそらくこの『真理』の声が対峙する人によって変わっているんじゃないかと思うのですが(エフェクトがかかっているのではっきりしませんが)、エドが最後に真理に打ち勝つ、というのは、自分の心の弱さ(他の人にすがろうとする生き方)に打ち勝つ、という意味が込められているのではないかな、と思ったりします。

どんな作品であれ、作者ならではの信念が垣間見える作品というのは生き生きして見えるものですが、この作品はまさにそんな作品であったという気がします。アニメも非常に丁寧な作りで、月刊誌連載作品のアニメであるにもかかわらず、密度の濃い作品だったと思います。

来週の最終回は果たしてどうするものなのか。テーマ的には終了しているだけに、どんなふうに残り 30 分を使ってくるのか楽しみなところです。


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