つらつらとネットを巡回していたら、こんな話題が。
- 男の約束 :週刊少年サンデー11/16号
http://cnanews.asablo.jp/blog/2011/03/05/5722496 - 漫画家の椎名高志氏が「声優が他の仕事すると気にくわない人」に言及し「挑発する気持ちがなかったとは言えない」と謝罪
http://butetu.doorblog.jp/archives/51776750.html
これ、絶対可憐チルドレンを執筆されている椎名氏が、Twitter で「声優が他の仕事すると気にくわない人って、自分が視野を広げるとか予想もしなかった新しい経験をして成長したことがなくて、それでカテゴリーにこだわるんじゃね?」とつぶやいて炎上した、という話。どうもこの話で出てきた声優さんというのが平野 綾さんのこと(テレビのバラエティ番組への出演の件)だったらしく、あ゛ーそりゃ炎上して当然だわな、と思ったりしなくもなかったり。客観的に見ると、Twitter での椎名氏のつぶやきにも一理あるし、それに反論されている人の発言の多くにも一理ある(すべてとは言わないけれど)ので、まあそれはそれでいいんですが、私がちょっと考え込んでしまったのは上の blog のエントリ。
blog での主張は、端的に言えば、「発言する人はモラルを持つべきであり、モラルのない発言や行動に対しては毅然と向かうべき」というもの。それは単体で見れば実に理にかなっている……のですが、問題なのは、それを椎名さんが語ってよいのかどうか?、というポイント。簡単に言えば、椎名氏のような「粋な大将」(サービス提供側)が、客(サービス享受側)に対して「粋な客」であることを求めてよいのか? という点なのですよね(=粋な大将は、粋ではない客に対して、粋であることを求めたりはしないんじゃない? 笑って流すんじゃない? ということ)。
この発言を、ある意味、漫画家(=サービス提供側)の人間として行わず、それとは切り離された、第三者的な「オトナな視点」から行えば特に問題はないでしょうが、現実的にはそうはいかない。というのも、発言は本来的にその本人の立場と切り離して考えることはできないから、なのですよね。少なくともオフィシャル blog で書いている以上、本人の立場と切り離して発言を読み取ることはできない。
……多くの人は、もし同じ状況に立たされたら、叩かれることを嫌ったり怖がったりして、椎名氏のこの blog のエントリのようなことを書くことはしないでしょう。上述したように「粋な大将」として、適当に笑って流して、その代わりにこっそりと「あのお客さん二度と予約を取らないし、今後は出入りお断り」とするのでしょう……というか、それが普通。直接的に、粋ではないお客さんに、粋であること、すなわち成長することを求めたりはしない。
けれども椎名氏がすごいなぁと思うのは、多分そうしたもろもろのことを分かった上で、それでも敢えてその発言を公に行ってしまう強さ、だと思うのですよ。それは、ある種の「見守るものとしての強さ」「後人を育てようとする者としての強さ」「親としての強さ」のようなもの。自分は粋であり続けようと努力する、だから君も粋であってくれ、という、相手を律するとともに自分も律していくという力強さを感じるのですよね。
こういう力強さはある種のリーダシップ力にも通じるものだと思うのですが、いやー、普通の人はなかなかそうは言えないよな、と。実際、リアルでそういう心の強さを持った人に出会う機会はなかなかないものですが、その心の在り方は私も見習いたいなぁと思ってしまったり。や、なかなか難しいと思うんですけどね。
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