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魔法少女まどか☆マギカ 最終話一気放送

というわけで昨晩の話ですが、まどかマギカのラスト 3 話を奥さんと一緒に一気鑑賞。なにげに奥さんがハマりまくっていた作品ですが;、いや確かにこれはアニオタじゃなくても十二分にハマりうるクォリティを持った作品ではありますね~。

以下、ネタバレなのでまだ見ていない方は読まないでください。
(反転すると読みにくくなるのでそのままにしちゃいますが;。)

なるほどこれはよく考えられた作品で、1 クール作品とは思えないほど深みを持った作品ですね。とはいえ、個人的にはなんだか綺麗にまとまりすぎている感もあり、かえってそれが消化不良な感につながる妙な作品、という印象もありました。まどかがルールブレイカーな願いをかけない限り、物語としてはまとまらないだろうと思う半面、逆にそれは作品としてちょっと反則だろう、と思っていたところもあり、多少肩すかし感もありました。

結局のところどういう作品だったのか? についてはおおざっぱには Wikipedia がよくまとまっているのでそちらを参照してもらった方が早いと思うのですが、一部、憶測や作品解釈も含めて要点をまとめるとこんなところ。

■ 作品設定

  • インキュベーターは、目減りしていく宇宙全体のエネルギーの枯渇問題を解消するため、感情をエネルギーに変換するテクノロジーを発明する。しかし当のインキュベーターが感情を持ち合わせていないため、人類から感情エネルギーを入手することにする。
  • 入手効率を高めるため、彼らは少女の第二次性徴期の希望と絶望の相転移に着目し、魔法少女システムを構築する。願いを叶える代価として魔法少女(ソウルジェム)になってもらい、それぞれの希望(例えば人々の平和、誰かの幸せなど)を願って、魔女やその使い魔(=人々の呪い)と戦ってもらい、人々の呪い(感情)を回収してもらう。しかしその希望が決して叶わないと絶望したとき(=呪いや絶望が希望を上回るとき)、ソウルジェムはグリフシードへと転換し、その際に膨大なエネルギーを発生させる。(※ この作品には、「人々の呪いは決してなくならない」という思想が根底にあって、魔法少女になった少女は遅かれ早かれ、回収・蓄積した呪いが希望を上回り、必ず魔女になるという設定になっていることに注意。この辺はなんとも Nitroplus 風味ですね^^。)
  • インキュベーターは、エネルギー回収のため、魔法少女から呪いが溜まりきったグリフシード(=呪いなどの負の感情の塊)を回収しているが、これは小さな感情の塊であり、回収効率が悪いため、彼らの本命ではない。本命は「ワルプルギスの夜」。
  • 魔法少女システムの巧妙なところは、魔法少女が「希望を上回る呪いや絶望を回収する」システムになっているという点。魔女を倒すためには、魔女の絶望よりも大きな希望が必要になるが、その希望が絶望に変わることによって新たな魔女になる。ここで生まれた新たな魔女は、最初に彼女が倒した魔女よりも大きな絶望を抱えていることになる。つまり、魔法少女から生まれる魔女は、倒されて世代を重ねるごとに、より強大な絶望を抱えていくことになる。
  • そうして進化を重ねた結果に生まれたのが「ワルプルギスの夜」。もはやこれほど巨大な魔女(絶望)となると、そうそう普通の魔法少女(希望)では倒すことができなくなり、人間たちからは、稀に起こる「災害」として認知されるようになる。(作品中では「スーパーセル」として認知されている)

■ まどかとほむらの物語

  • 当初(時間軸の 1 ループ目のとき)、ほむらは病弱な存在。まどかはマミさんに救われたのちに魔法少女となるも、ごく普通の魔法少女だった。このため、まどかたちはワルプルギスに敗退。ほむらは「過去に遡り、まどかとの出会いをやり直す」「まどかを守る私になりたい」という願いをかけ、因果律に逆らって時間干渉できる(=時間をやり直せる)魔法少女へと変化する。
  • これにより、ほむらは病弱ではなくなり、過去に戻ってまどかたちと共にワルプルギスに立ち向かう。しかし、ワルプルギスとの戦いで呪いを溜め込みすぎたまどかが魔女になってしまったのを見て、インキュベーターたちの企みに気付く。
  • インキュベーターのたくらみに気付いたほむらはまどかたちを説得しようとするが失敗。今度はまどかを守るために、まどかを魔法少女にさせないように何度も時間軸を繰り返すが、それが逆にまどかに因果の特異点としての力を溜め込ませることにつながり、最後には、ワルプルギスの夜を一撃で倒せるほどの最強の魔法少女としての素質を持たせることになってしまう。(これが第 1 話のオープニング)(※ ワルプルギスの夜を撃破した直後にまどかが魔女になるのは本当はおかしいのですが、この点については「遅かれ早かれ結末は一緒だよ」と語られているので、おそらく作品の作りの都合上でしょうね。)
  • この絶望的な状況に対して、まどかは魔法少女システムの根幹である「希望と絶望の相転移」を破壊する願いをかける。

「わたし……すべての魔女を、生まれる前に消し去りたい。
すべての宇宙、過去と未来のすべての魔女を、この手で。」
「神様でもなんでもいい。今日まで魔女と戦ってきたみんなを、
希望を信じた魔法少女を、私は泣かせたくない。最後まで笑顔でいて欲しい。
それを邪魔するルールなんて、壊してみせる。変えてみせる。
これが私の祈り。私の願い。
さあ、叶えてよ……インキュベーター……!」

■ 新しく構築された世界

  • 過去から未来に渡って、希望と絶望の相転移を防ぐためには、あらゆる時間と空間に「魔法少女まどか」が存在しなければならない。これはまどかが通常の魔法少女という存在であるだけでは実現できないため、時間軸や空間に干渉可能な「一段階上の存在」になる必要がある。(=概念存在になる、神になる、という表現がされていますね) この願い(=新しいルール、希望から絶望への相転移を利用して魔女を生み出すことができなくなる)によって世界が再構成され、「魔女が生まれない世界」が作られるが、その代償として、まどかは新しい世界に存在できなくなる(=消滅する)。(※ なお、まどかの願いは「魔法少女の絶望を消し去る」というものであるため、まどかがまどかの絶望を消し去ることで、まどか自身が魔女化することを防いでいる。ここは言葉のアヤですね^^。)
  • とはいえ、新しい世界でも、人間から呪いがなくなることはない。このため、呪いを糧にする魔女のかわりに、呪いを糧にする魔獣が出現するようになる。またこの世界では、呪いをその希望の総量以上に溜め込んだ魔法少女は、魔女にならずに(まどかに救われて)消滅することになる。呪いは適宜、結晶化してインキュベーターに食わせることができる。
  • インキュベーターは、希望と絶望の相転移をうまく利用できないことになり、(魔女を生み出すことを目的とした)魔法少女システムを使った効率的なエネルギー回収ができなくなる。このため、インキュベーターは、魔法少女に魔獣を倒してもらって呪いをちまちまと回収させる非効率的なやり方しかできない。半面、人間との共存共栄が可能になる。
  • 新しい世界では、普通の人間からまどかの記憶が消失しているが、因果律ルールから外れたほむらだけは、まどかのいた時間軸の記憶を保持し続けている。新しい世界でもほむらは魔獣と戦い続けるが、それはほむらの願いが「まどかを守る私になる」こと、つまり「まどかが守ろうとした世界を守り続ける」ことであるためである。

「例え魔女が生まれなくなった世界でも、それで人の世の呪いが消え失せるわけではない。
世界の歪みは形を変えて、今も闇の底から人々を狙っている。
悲しみと憎しみばかりを繰り返す、救いようのない世界だけれど。
だとしてもここは、かつてあの子が守ろうとした場所なの。
それを、覚えている。決して忘れたりはしない。だからわたしは、戦い続ける。」

  • エンドロールの後の荒廃した世界の果てで、ほむらは世界の呪いと戦う。もともと白かった翼も幾多の戦いで黒く濁り切っており、最後の戦いでほむらはさらに呪いを蓄積して消滅するが、最後にまどかに救われる。

……とまあ、ざっくりとまとめてみればこんなところだと思うのですが、いやはや、見事にやられた! と思ったのは、主題歌であるコネクトが、実はほむらの曲だった、ということ。関東圏では #10 が放映されなかったのでわからなかったのですが、まさかこういう展開になるとは全く想像もしておらず。確かにゲームではよくある展開ではあるのですが、アニメでここまで完成度高くやられるとは……正直参りました;;。

半面、個人的にちょっと消化不良気味だったのは、このきれいな結末を導くために、まどかがルールブレイカーな願いを叶えてしまったこと。どこまでがルール範囲内で、どこからがルール範囲外なのかの境界線は引きにくいものですが、(いろいろと論理的に閉じているのはわかっていますが)これがアリなら別の願いもアリじゃね? 的なところもあり、そこはやや残念なところでした。虚淵さんの持ち味を考えると、もっと絶望的なエンディングであっても良かった気もしなくはありません。絶望の中に一筋の希望が残る、というあたりが虚淵さんの真骨頂のようにも思えるし、逆にそういう乱暴な作品だからこそ、長く心に残る作品になるような気もするのです。まどかマギカは、あまりにも小奇麗にまとまりすぎているが故に、話題性は抜群であっても、10 年後にも評価される Phantom of Inferno のような作品にはならないのではないか? と。そこが私的にはちょっと残念だったりします。まあ、贅沢すぎる話ではあるんですけど^^。

いずれにしても、震災の影響で放映スケジュールが変更されたとはいえ、こういう形で全話放送してくれたのは有難かったです。正直、明るい作品ではなかったし、「人の世の呪いは決して消え失せない」という前提条件に基づく作品世界は今の日本にとって気持ちのいいものではない、とは思いますが、逆にそうだからこそ、いろいろと考えさせられるところもある作品ですね。久しぶりに歯ごたえのある作品だったと思います、スタッフの皆様、おつかれさまでした。


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コメント(2)

以前拍手コメしたことのある者です。
まどかの願いがルールブレイカーなものになるというのは
10話時点で想像できたことなのですが、
その中でも「まどか」という少女の本質をしっかり捉えたものだったと思います。
もっとルールを無視するなら、「エントロピーは減少しない」とか
「QBの存在消去」とか「QBに感情を与える」とかでもよかったのでしょうが、
まどかがどうしても許せなかったことは「魔法少女の魔女化」だったのだなあと
ニコニコで何度も見返しながら考えています。
まどかは「魔法少女の存在」自体は否定していないので
(それがさやかとの別れのシーンにつながるわけですが)
そういった意味ではとても首尾一貫した展開であり
まどかの願いはあれ以外なかったと思うのです。

人様のコメ欄で自説をぶつことのご無礼をご容赦ください。

コメントありがとうございます^^。

ルールブレイカーな願いにならざるを得ない、という前提条件を引いて考えると、
私もmicoricoさんのご意見と同じ考えです。が、私がひっかかったのは、そもそも
ルールブレイカーな願いが「作品として」許されるのかどうか、という点でした。

もともとこの作品、「極めてロジカルに」まどかやほむらを追い詰めているからこそ
そこが作品としての『救いのなさ』に繋がっている。けれども、あの願いがかなうと
いうこと自体が、そこまでの「ロジカルな展開」を台無しにしちゃってるんですよね。

だって、ロジカルに考えたら、なんであんな「この世の因果律をも打ち壊す願いを
インキュベーターたちのテクノロジがなぜ叶えられるんだ?」「いやそもそもイン
キュベーターはなぜ魔法少女を、自分たちの利益に相反する願いであっても叶えて
しまえるようなシロモノにしたんだ?(セーフガードをなぜ作らなかったんだ?)」
という話になっちゃう。ここだけロジカルじゃない展開を認めるのは、作品として
自己矛盾しているし、反則でしょう? と。

まどか視点で物語を見たときに首尾一貫していることは私も理解しているのですが、
いやそれを認めちゃっていいのかなぁ? というのが私の疑問でした。
(これ、全く同じことを前クールの夢喰いメリーの最終回で思いました……。)

まあ、あんまりにも救いのない物語なんで、ここだけは物語のハッピーエンドの
ために多少の反則は目をつぶってもいいんじゃね? という気はするんですけどね^^。

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