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青天の霹靂。

最近、うちの会社というか組織で人員整理が走っているのですが、その内容がかなり強烈なもので、恐ろしい人数の人間が整理対象に。過去、いわゆるリストラはそれなりに見てきてはいたつもりでしたが、さすがに一時期にここまで一気に進めるという話は初めてで、いやはや果たしてどうなるんだろう、と思わずにはいられなかったり。いったん縮小均衡を図って、本当の意味で価値のある人員に一度選別をかけ、そこから真に強い組織を目指す……というのが理屈上の骨子なのでしょうが、ここまでドラスティックにやられると、さすがに本気度を感じてしまうところ。自分はそうそう切られるような状況には追い込まれないようにしていますが、いやはやそれでも自分も改めて気が引き締まる思いになったり。

一般に、リストラということになると、基本的には成果が出ていない人を対象に首を切る……と思われがちですが、必ずしもそうとは限らない。さほどパフォーマンスに問題がない人であっても、これからの伸びが期待できない人、言われたことしかできない人などは、場合によっては切られる対象になりうる。特にリストラ計画は、経営層から何人切れ、という形で落ちてくることも多いため、現場の細かい都合なんておかまいなし。残された椅子に誰を残したいか? という視点で考えた場合には、当然のことながら、現在のパフォーマンスは当然のこと、将来的な成果への期待も加味されて残留メンバーが決定されるわけで、単に今まで言われるとおり従順に働いてきました、というだけでは十分なアピールにはならないのですよね。

けれども、人間というのは概して気付くのが遅いもの。以前、リストラで人員整理の対象になった人から、後日談としてこんな話を聞いたことが。それなりに頑張って組織に貢献してきたし、成果も出している(つもり)だったにもかかわらず、ある日、突如リストラを言い渡されて目の前が真っ暗に。当然、リストラなので、管理側もある程度無理矢理理由をくっつけて退職を迫るわけですが、そんな後付けの理由や内容を切り出されたら納得できるわけがない。傍目からはパフォーマンスが出てない人であっても、本人としては従順に頑張っていたつもりだったはずで、だいたいの場合、大いに揉める……のですよね;。「今さらそんなこと言うな」「言われればちゃんとやっていたのに」、と。

しかしそもそも論で言うと、そんなことを言われてしまう時点でもう終わっている、のですよね。怒られて反省して、これからちゃんとやるようにします、なんていう言い訳が通用するのは子供の世界だけなわけで、大人の世界や仕事の世界では、そもそもそんなことを言われることがないように、先回りしてどんどん結果を出していかなければならない。……というより、そういうふうに自律的に自分で考えて行動し、自分で結果を作り出していける人こそがビジネスの世界では重宝される。だから、「言われていればちゃんとやっていたのに」というのは、もはや終わっているとしか言いようがない反論……なのですよね;。

# なんか書いていて連想したのが、熟年離婚の三行半(みくだりはん)。夫の側からすると、
# 「今まで自分はこれだけやってきたのに」「いったい何が悪かったんだ」「もっと前から
# ちゃんと言ってくれてたらやっていたのに」……うわわ、全部同じ言い訳だよ、と;;;。

結局のところ重要なのは、常に自ら気付こうと努力し、そしてそれを行動に反映させていくこと。確かに人間って言われないとなかなか気付けないものではありますが、それでもなお気付く努力をすること。アンテナをたくさん張り、日頃から自分の価値を吟味し、自分を変えていくことが大切。熟年離婚もリストラも、降りかかってきたときにはすでに結論は動かせない状態になっている。そうならないためには、いかに日頃から自分に対して(客観的に)厳しくいることができるのか、が問われるのだと思います。

ふと振り返って考えてみると、ここ数年は組織がヌルかったせいで私の心もちょっと緩み気味。今の組織でパフォーマンスを出せていても、もっと高みを目指していかないとな;、と改めて思う今日この頃。ホント、明日は我が身と思って頑張らないと、ですねぇ;;。


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