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犠牲と境地。

夏のこたつさんから紹介された、twitter まとめサイトを読んでいて、「うーん;」と唸ってしまった話をひとつ。

陸上の為末大さんと乙武洋匡さんが、なでしこJAPAN優勝に関してTwitterで会話したときのログのまとめ。簡単に言えば、「栄光や感動は誰かの犠牲によって成立している」「その労力や時間を支える仕組みを作らないと文化は長続きしない」というもの。感動を食い物にする、モラルの感じられないようなメディアに関しては確かに褒められたものではない、と思いますし、総論としては概ね異論がないところなのですが、「うーん」と唸ってしまったのは、乙武さんの次の意見(及び関連するいくつかの発言)。

いくら可能性のある選手でも、「家族や友人とゆっくり過ごす時間とお金、そのすべてを犠牲にできるか」という問題に直面し、その競技を断念することだってあるだろう。社会がその下支えとなり、競技に専念できる環境を整備することができれば、そうした選手も競技を続けられる。

後ろの方にあるコメントの中にも似たような発言(ベーシックインカムなど)が見られるのですが、うーん、それはちょっと違うんじゃなかろうか?と思ってしまったり。私は、すべてを犠牲にするからこそ辿り着ける境地があるのだと思うのですよね。

実際、こうした「私生活を犠牲にしている」話はスポーツに限らず、あらゆる文化産業に共通してみられる話ですが、成功した人は必ずしも恵まれた環境で育ってきていないことも多い。いやー、漫画家さんとかなんてホントひどいもんです;。駆け出しの頃はコンビニのアルバイトしながらマンガ描いてました、なんて人はホントにザラにいるんですよね;。ビジネスの世界でも、成功している人は、たとえお金に不自由していなかったとしても、何かしらの犠牲(主に私生活に関する犠牲)を払っていることが多い。

成功することが確約されていないとやろうとしない若者は多いけど、それは甘えというもの。確約された成功なんてものはない、と思うのです。失敗するかもしれないけれども、リスクを取って背水の陣の中でなお何かを犠牲にして頑張る。様々な犠牲を払っても突き進みたいと思うその信念こそが、心の強さを育む。ぬくぬくと温室の中で育てられて、世界と戦える強靭な精神が養われるのか? 私は世界はそんなに甘いもんじゃない、と思うのです。

もちろん、様々な犠牲を払って得られた対価(例えば私生活を犠牲にして得られた栄光とか、私生活を犠牲にして得られたお金とか)が、犠牲に対して見合ったものだったかどうか? は当然問題になるでしょう。けれども、そのリスクを取るかどうかは個人としての人生の選択の話。結果がどうなるかは分からないけれども、それでも何かを犠牲にして頑張る。頑張ったからといって対価が得られるとは限らないけれども、頑張らなければ対価は得られない。そういう状況でも頑張れますか? という問題なのではないかと思うのです。

先日、社内でトップの賞を受賞した友人と話していたときに、お酒の席で「すべてを犠牲にして仕事に打ち込まなきゃこんな賞は取れない、生半可にやってるヤツにこんな賞が取れるわけがない」という話を聞きましたが、私は概ねこの発言に同意、なんですよね;。彼は私より年上ですが、結婚もせずに世界中を飛び回って大型案件をクローズさせる凄腕営業マン。見ていて「あの生活は私には無理;」と正直思いますし、酒の席とはいえ、こういうことを言えてしまう心の強さは私にはないよなぁ、と思ってしまう。もちろん、世の中を見回せば、私生活も地位もお金も栄光も持ってるような人もいるでしょうが;、概していえばそれは少数派。私生活を犠牲にして頑張っている人には、最後には努力に見合った何かしらの対価があって欲しいとは願いますが、おそらくはその対価すらも求めずに頑張りつづけられる一握りの人たちにこそ、そうした対価が与えられるのかもしれませんね。


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