軍艦島ツアーから戻った後は、すぐ近くにある出島を見るためにちょろっと徒歩で移動。5 分ぐらいでしょうか?
川沿いに立ち並ぶ、昔ながらの瓦屋根の建物群が、長崎の出島の和蘭商館跡。1634 年に江戸幕府の鎖国政策の一貫として築造された海に浮かぶ人工島なのですが、今は河口工事により海岸線が変わってしまった関係で、少し内陸よりの川沿いにあります。(← ……っつーか、出島と言ったら海の上なんだから、ここにあるのは偽物だろうとか思ったのは秘密です;;。)
ご存じのとおり、出島は鎖国だった日本が貿易を行う際に、オランダ人に唯一上陸を認めた場所であるわけですが、聞いたところこの島に実際に上陸できたのはごく一部の人のみだとか。100 人以上の下級船員は、ほとんどを船の中で過ごすことになっていたらしいです。建物はすでに失われているのですが、当時のままに復元工事が行われ、停留中に船長が過ごすためにあてがわれていた部屋などが再現されていました。
出島のミニチュア模型なども展示されていましたが、出島といえばやはり橋。聞いたところによると、数年後に出島の出入りの橋も復元する予定があるそうで、それが復元されると随分と雰囲気も再現されるのかもしれませんね。
長崎出島検疫居留地、長崎奉行大岡清相著「崎陽群談」によるとその坪数3924坪、船着き場45坪。ここに未来へのメッセージがある。三千世界二十四節気九星は人の世の吉凶を占うとなる。そのお家賃は年額 銀55貫目、オランダ東インド株式会社が払うことで決着した。その扇の形は貿易の振興を願う「末広」後は尻すぼまりで「伝染病、阿片」の侵入防止を願った。欧州ではQuarantinと言う。