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作品批評のあり方。

この blog、割と結構好き勝手に書いていることもあって、ダメな作品には平然と「ダメ」って書いちゃうわけなのですが;、そんなスタンスを取っていると必ずと言っていいほど出てくるのが「そこまで書かなくてもいいじゃないか、もっと気楽に楽しんだらいいじゃないか」という意見。その多くは匿名投稿として送られてくるのですが、星の数ほど blog が出来たり Twitter に移行しているせいか、最近はあんまり見かけていなかったのですよね。が、数日前に久しぶりにそんな書き込みがあったので、たまにはこれに関して書いてみてもいいかな、と思ったり。や、割と大切な話なんじゃないかなー、と思ったりするので。

■ 「プロ」に対するリスペクト

作品に対して辛辣な意見を述べる人に対してよく言われる意見に、「あなたに同じものが作れるのか? 作れないんだったらそんな偉そうなこと言うな」というものがあります。が、そもそもこれは的外れ。なぜなら、それはクリエイターをプロと認めていない(今回のケースで言えば、麻枝氏をプロと認めていない)ことになるからです。

プロとアマの境界線は明確なものではありませんが、その線引きのひとつに、「その仕事を生業とし、お金を稼いでいるか否か?」というものがあります。要するに、趣味なのか、お仕事なのか、というもの。私も(業界こそ違いますが)普段は一人のプロとして、お客様に接してお金を頂いているわけですが、そうした仕事をする中で、「自分の言っていることややっていることを理解できない・楽しめないユーザ(お客様)が悪い」と考えることはありえないことです。というか、万が一にもそんなことを考える人(=自分の能力不足・努力不足を棚に上げて相手に責任転嫁するような人)はプロ失格、あるいは三流としか言いようがない。

プロフェッショナルというのは、相手に理解してもらう、楽しんでもらうために腐心するものであり、そしてそれと同時に、自分のモラルやメッセージ、考えをいかに伝えていくのかにも腐心するもの。自分を押し出すだけでもダメだし、かといって相手に迎合するだけでもダメ。そこをいかに両立し、バランスするか? そこにプロフェッショナルとしての腕がある。

出された料理に対して、「あなたに同じ料理が作れるのか?」「文句を言うんじゃなくてもっと気楽に楽しんだらいいじゃないか?」というのは、一見正しそうに見えますが、それは一方で、クリエイターたる料理人を貶めている発言である、ということを肝に銘じるべきだと思います。(余談ですが、そういう意味でクリエイターの名前を間違えて書くのはそもそも論外です;。)

■ 批判と非難の違い、意見を発信する側としてのモラル

さて、上に書いた考え方は、一見すると「ユーザ側はお金を払っているんだから、何を言ってもいい」という、ある種のクレーマー的な発想に見えるかもしれません。が、もちろんそういうわけではないと思います。やはり、ユーザ側(お客様側)にも、一定の節度やモラルは当然求められるべきだと思います。

ではユーザ側のモラルや節度とは何か? それは、批判をするなら筋の通った批判をすること。よく、「批判」と「非難」は違う、と言われますが、これがまさにそれ。自分の立ち位置や考え方を示し、ひとつの意見として批判を述べること。もちろん、それが作者の意図と合致しているかどうか……はどこまで行っても分からないものですが、例えば面白くなかったというのであれば、なぜ面白くなかったのか、つまらなかったのか、そう感じた理由や論拠を出来る限り分かりやすく書くことが必要なのだと思います。

私の場合、blog やインプレを書くにあたって気を付けていることは、少なくとも作品をしっかり理解した上で意見を述べるようにすること。それは、褒めるにしてもそうでないにしても、です。前者の例としては CLANNADCROSS†CHANNELSense Off智代アフター ~It's a Wonderful Life~Ever 17、後者の例としては Steins;GateRemember 11、あるいは取り上げられているリトルバスターズ!などを思い出しますが、それは私にとってのクリエイターに対するリスペクトの一環であると同時に、クリエイターとの真剣勝負でもあるのです。

■ 作品に合わせた "TPO" 的な批評

……とまあ、これだけあれこれ書いてきても、おそらくまだ変わらず「そんなにぶつぶつ言わなくてもいいじゃん、もっと気楽に楽しもうよ、いや楽しめないなんてかわいそうに;」といった意見を述べる方はいると思います。いやまあ、気持ちは分からなくもない部分もあるのですが、一方で、いつでもどこでも融和路線的な、日和見的な意見を振りかざして議論をやり過ごそうとするのは、時として必要とされる真剣さが足りないんじゃないか?と思うことがあるのです。

というのも、私だっていつでもどこでも真剣勝負ばっかりしているわけじゃない。PSP 版オレイモをプレイしている時には、頭の中をからっぽにして黒猫と全力でいちゃいちゃして楽しむに決まっている。それはある種の TPO。あらゆる作品が真面目に批評されるべき、というわけではない。けれども、メッセージ性の強い作品であればそれに合わせた楽しみ方や批評が必要だと思うし、作品の特性によらずにいつでも「気楽に楽しもうよ」というのは違うんじゃないか、と。

作品が目指す方向のベクトルに合わせた楽しみ方や批評というものは確かにあり、それに合わせることが大切、だと思うのです。

いつでも殺伐とした批評をしているのも困るけれども、だからといって、いつでもニコニコしながら日和見的な意見ばかり述べているのも違う。時として、真剣になって本気で作品に向き合わなければ、得られない理解や気持ち、感想もあると思うのです。

だから、こういうインプレに関して、「そんなぐだぐだ言わずに、もっと気楽に楽しめばいいじゃないか」という意見を投げてくる人に問いかけてみたい。「あなたは本気で真剣に、人生のすべてを賭けるぐらいの気持ちで何かの作品と向き合ったことがありますか?」と。そして、そうしたものを通して得られる「何か」が、どんなものなのかを知っていますか? と。時として、そういう取り組みが必要になることもあると思うのです。

もちろん、それは「私の」作品の楽しみ方であって、それは別に唯一正しいものでもないし、人によっては「どんな作品も気楽に楽しみたい」という方もいるでしょう。それはそれで別に OK。けれども、「楽しまなくちゃダメでしょう、楽しめないならプレイすべきじゃないでしょう」とまでなると、それはさすがに違うだろう、と思うのですよね。

■ まあでも結局のところは。

……と、あれこれ書いてきたわけなのですが、まあ今回の話、実はもっと単純な話で、この書き込みも含めて、

「自分は面白かった、楽しかった。けれどもなんか Web 見てたら自分と違う意見や批判があった。気に入らん;。」

という、ファン同士のぶつかり合いでしかないんじゃないかと思います;。や、まあ実際そういう気持ちは私にもあって、自分が楽しめた & お気に入りの作品に関して、的外れな非難をしているページとか見かけると、「ちょ;;、それは違うだろう;;」と言いたくなる気持ちとか、潰したくなる気持ちはやはりあるというもの(苦笑)。まあ、人間ですから、そういうのはやっぱりあると思うのです。や、そんなに度量がある人間でもないので;。

とはいえ、「作品に対しての感想は人それぞれ」。当たり前ですが違うのですから、楽しめない人がいたという事実も認めなくちゃいけない。自分と違う意見の人についても、認められる度量の広さを持ちたいものです、はい;;;。難しいんですけどね;。


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コメント(1)

状況次第ですが、Linuxの自分でコード書け的な文化なんでしょうかね。
あれは商用というわけではないのですが、ニュース報道とか分野によってはプロとの境界が怪しい物が増えてきたものが可視化されてきたのが原因と思います。コンテンツ産業などだと質と売り上げは比例しないし、埋もれまくっていますから。
しかしながら、プロとアマの差が非常に大きい業界もあり、今なら昔以上にそれを実感できると思うんですけどね。そうしたものはもっと尊重されるべきと思います。

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