最近のトピック

バナー
紫色のクオリア

「もちろん、あたしは、ゆかりの意思を、尊重する。
いちおういっておくけれど、ゆかりがどちらを選んでも、あたしは、―――ゆかりの友だち。
それは変わらない。
……でも、あたしはやっぱり、ゆかりに転校してほしくない。」

というわけで今日はこちらのインプレをひとつ。

写真 2011-06-01 7 57 58

ええっと、紫色のクオリア。何度か Web 拍手で推薦してもらっていて、購入はしておいたのですがなかなか消化できず;。でもって、最近ちまちまとラノベを消化している最中にようやく読めた次第だったりします。

Web 拍手では、シュタゲやまどかと比較される作品なので読んでみてください、みたいな触れ込みで紹介してくださっていたのですが、いやいやこれは表層が似ているだけで中身はぜんぜん違うだろう、という印象。簡単に書くと、こんな感じです。(もう古い作品なので、とりあえずネタバレ全開で。)

この作品で題材とされている「クオリア」とは何かの事物を観察したときや感じたときに心の中に浮かび上がる「質感」のこと。日本語では「感覚質」と訳されるのですが、まあ簡単に言えば、何かを見たときに頭の中や心に広がる感覚や意識。このクオリアは、極めて身近な現象でありながら他者と共有することができず、しかも他者と同一であることの証明ができない。クオリア自体は最近の脳科学の研究で、脳内ニューロンネットワーク内の電気信号であることがわかっており、これを再現することで、ある人のクオリアを別の人にも発生させることができるのではないか?と言われているらしいのですが、まあこの辺は御託の前置き。重要なのは、少なくとも現時点では、自分が感じる心や感覚は自分だけのものでしかなく、他人と共有することができないということ。もっと簡単に言えば、今、自分の目の前にある世界や人が、(心を持った存在という意味で)自分と本質的に同じ存在なのか、それとも異質な存在なのかは、残念ながら証明のしようがない、ということ。

このことは、いわゆる自我・他我問題と呼ばれる哲学的テーマとして、いろんな作品で取り上げられるのですが、この作品の場合はその取り上げ方がかなり変化球。なんと、ヒロインの女の子ゆかりが、他の人間すべてがロボットに見えてしまう、というもの。おいおいどんだけ変化球なんだよ、と苦笑いですが^^、ストーリーが展開していくうちに、話がどんどんディープになっていく。主人公のマナブはゆかりによって並行世界線を移動して情報を共有することができる存在になり、しかも時間を遡ることすらできてしまうようになる。そして、ヒロインであるゆかりが死んでしまうという過酷な現実を、その能力によって必死に改変しようとする。

さて、これだけの特殊能力を持った主人公(自我)は、果たして何を考えるのだろうか? という点。

この作品のオチを書いてしまうと、実はマナブはいくら時間軸を繰り返してもゆかりを助けることができない。でも、その理由は、救いのなさを極限まで追求したまどか☆マギカのような「自分で自分の首を絞めていくから」というようなものではない。ただただストレートに、「本人の意思や願いを無視して、その人の未来を他人が勝手に改変することは許されない」というもの。これが、この作品の基底にある世界観(世界のルール)なんですよね。

これは実は非常に大切で、シュタインズゲートでは意識的に無視されていた部分でもあります。シュタゲのインプレにも書きましたが、シュタゲの場合、なぜオカリンだけが特殊能力を持つのか?という点については一切踏み込まなかった。ここの部分はシュタゲでは意図的に除外されていて、自我・他我問題には踏み込まない、という原則を貫いている。本来、自我から見た世界において自分だけが特別な人間になるのは当たり前のことなのですが、じゃあ他我から見た世界においては? という問題には一切踏み込まず、あくまでたまたま主人公が特殊能力を持ってしまった、という前提を引いている。これが、シュタゲという作品の基底にあった世界のルールだったんですよね。

けれども、自我を認めるのなら他我も認めなければならない、というのが対等性の原則。この作品では、繰り返し、ゆかりとマナブが対等な存在か否か?(すなわちロボットが見えるゆかりは異質な存在なのか、それとも自分たちと同じ人間なのか?)が問われているのですが、もしゆかりとマナブが対等だというのであれば、ゆかりの自我も、マナブの自我も、対等に扱わなければならない。ものすごく簡単に書くと、どちらの心や気持ちも対等なもの、同じく価値を持つものとして認めなければならない。だから、マナブが行おうとした、本人(ゆかり)の気持ちを無視して、本人の至る結末をマナブの意志で改変する、ということを作品として認めなかった、のですよね。これは作品としては非常に分かりやすい結末ですし、腑に落ちるところ。

これらの 3 作品に関して、敢えて自分の好みを言うのであれば、至る結論としては、この「紫色のクオリア」に一番の軍配が上がります。けれども問題は、だからといってそれがめちゃめちゃ面白いかどうかとなるとそれは全く別、という話。この作品の最大の問題は、読んでいて盛り上がりに今一つ欠ける、ということでしょう。作品で取り扱っているネタ自体は悪くないし、着眼点も、また物語の帰結点も悪くない。けれども、文章の読みやすさ、展開のテンポの良さ、思わず次のページをめくりたくなる衝動などがこの作品にあったかというと、残念ながらそれらには欠けていました。いや、もちろんまどか☆マギカのように、展開の面白さを極限まで突き詰めて、さらに救いのなさを極限までロジカルに突き詰め、最後の最後にはルールブレイカー的な願いで話をまとめる、というやり方は正直反則だろう、と思います。けれども読んでいる最中の面白さは圧倒的にまどかが上なわけで、やはりどんなに作品の素性が良くても、エンターテイメントとして話を面白く作り上げる技量、というのはそれはそれで必要だと思うのですよねぇ。

そういう意味で、この作品、素性が良いだけにもったいない作品ですね。十分に面白い作品ではありましたが、うーん、惜しい、という感じでしょうか^^。でも、結末の清々しさはかなり気に入りました。こうやってあれこれとインプレで書けるだけの逸材はなかなかないので、こういう作品があったらまた紹介して欲しいところです^^。


トラックバック(0)

トラックバックURL: http://www.pasteltown.com/akane/games/blog2/mt-tb.cgi/857


コメントする


2014年9月

  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30